D.E. scene1221
少年は森へ向かって走っていた。
つい先程、父親の道場で警備兵にまじっての剣の修行を終え、水を浴びてすぐに駆け出したのだ。
「森」・・・彼らはそう呼んでいるが、それは館の外れにある森を模した庭園の木立。
剣術指南として雇われた少年の父親は、その「森」の近くに道場兼住居を用意されて生活している。
森の中央、池のほとりのベンチに向かって木々をかわしながら飛ぶように走る。
そこには、不機嫌な女神が待っているはずなのだ。
彼女を待たせれば遅いと怒り、待てば修行をさぼるなと怒る理不尽な女神。
池のほとりでは、深紅の髪をもつ少女が所在なげにベンチにすわって水面を眺めている。
少年が馳せ参じる足音に気づいて彼女はパッと顔を輝かせたが、すぐに柳眉を逆立て、息を整えながら近づく少年をにらみつけた。
「わらわをまたせるとはなにごとじゃ!」
いつも通りの古風な物言いに、少年もいつも通りに答える。
「申し訳ございません。お姫(ひい)さま」
何か言い訳をすれば、彼女の怒りがいや増すことを知っている少年は、ひたすらに許しを請うのだ。
少年を見下ろすその視線は(少年はいつも不思議に思うのだ。立ってさえ自分より背が低い彼女が、どうして座ったまま自分を見下ろすことができるのかと)、まさしく烈火。彼女の気性そのものであった。
「そなたはわらわをまもる騎士であろう!」
かつて少年が練習用の刀を持ち出して騎士の誓をおこなって以来、少女はいつもそう続けるのだ。
この夕刻の待ち合わせは、もう2年ほども続いている。
由緒正しい公爵家の12歳の娘と、その剣術指南役の10歳の息子との秘密は、逢い引きと言うにはあまりに幼い。
少なくとも、少年の想いは「崇拝」そのものであった。
少女はポンポンとベンチをたたいて少年を隣に座らせると、話をするように促した。
少年は、今日の修行のことや、休憩中に警備兵たちから聞いた市井の話などの、少女が喜ぶとは思えないような話を日暮れ近くまでするのが日課となっている。
やはりおもしろくないのか、少女はツンとすましたまま話を聞いている。その様子に、少年はいつも不安になるのだが、別れの時には、少女は必ず翌日の待ち合わせを約束させるのであった。
その日、翌日の再会を約束していつも通り別れようとした時であった。
「わああああああああ」
突如、鬨の声と悲鳴が入り交じった声がわきあがった。
少女は、声のした館の方に向かって駆け出す。
少年も後に続く。
森の中を走る彼らの耳に、地をはうような野太い声が聞こえる。
「杖だ! 棒状のものを探せ! お前達では見分けられん。棒をすべて広場に集めろ!!」
「遣い手だと?! バカ者! 一人や二人、まわりを囲んで押し潰せ!!」
二人が森から抜けると、館の入り口で争う見慣れぬ兵士たちの姿が目にはいった。
剣を振るう兵士たちのそばに警備兵達が倒れている。50人ほどいたはずの彼らのうちで立っているものは既に数人であった。
その争いの中心に、少年の父母の姿がちらりと見えた。背を合わせて戦う二人は次々と兵士を打ち倒していたが、彼らのまわりに集まる兵士たちは100人を越えてまだ増え続けていた。
少年が父母に向かって駆け出そうとしたその時、父親の声を聞いた。戦いの喧騒の中で、聞こえるはずの無いその声は、確かに少年に届いたのだ。
「逃げよ!」
少年は、少女の手をつかむと、館とは反対に向かって駆け出した。
森の中を駆け、池のほとりにたどり着いた時であった。
二人の行く手を数人の兵士たちがふさいだ。
「へっへっへ。こんな持ち場じゃ手柄はないと思ったが、どうして、お姫さんが来てくれるとはな」
血走った目を大きく見開き、興奮に息を荒げた彼らは、ゆっくりと二人を取り囲んで、迫ってくる。
「お前は死ね」
目の前の兵士が、少年に向かって剣を振り下ろす。
鈍い銀色の光が自分に向かって迫ってくるのが、少年には、まるでスローモーションのように見える。だが、体はピクリとも動かない。
その瞬間・・・
少女が二人の間に割って入った。
燃えるような少女の視線を受け、兵士は驚きに目をさらに大きく見開いたが、振り下ろす剣の勢いは既に止らず、剣は少女の肩へと吸い込まれて行く。
剣が少女に触れる瞬間、少年の心は炎に焼かれた。
右目がバチンと音を立てて今まで見えなかったオーラを映し、少女をかばうように突き出した左腕がガリガリと形を変えて銀色に輝く。
・・・
カツン
ヒールの音がすぐ前で止まる。
ローニンは目を開けると、ゆっくりと立ち上がった。
彼の目の前には、彼を見下ろすように、深紅の髪の女神が立っていた。
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